nova渋川の原点を見つめて思うこと。
nova渋川の代表をしている金井です。
以下の文章は、14年前に昭和50年度渋川市立金島小学校卒業の同窓会に出席したメンバーに私が送った手紙の文章です。
皆さん
我々が金島中学校時代に、金島小学校に金島ハヤブサイレブンと言う、少年サッカーチームがあったのを記憶していると思いますが、この少年サッカーチームは、我々が5年生の時に、金島小学校へ新規に赴任した、田村悦史先生と茂木良一先生が、種をまき、3年後には、「金島ハヤブサイレブン」として群馬県を制し、見事、全日本少年サッカー大会(全国大会)への出場を果し、見事に華を咲かせました。
種をまかれた最初の年代は、我々だったのですが、当時は、チーム名など無く、スポーツ少年団の登録も無いサッカー好きな少年が集まっていました。
私の記憶にある選手は、飯塚正志、石塚宜利、岸秀樹、木下英二、重倉義昭、横手敦夫、岸敏夫、山田和雄、柴崎孝広、金井三二の10名です。
その後の10年間は金島ハヤブサイレブンは、群馬県内のタイトルをいくつも獲得し、全国大会にも2度も出場し、輝かしい好成績を納めました。
我々が金島中を卒業してから、36年間の月日が流れましたが、今や群馬県の少年サッカーチームに名をとどろかせた、金島ハヤブサイレブンは、小子化の影響で、単独チームでの活動が難しくなり数年前に、古巻地区のチームと合併し、ハヤブサの名を継承するチームはありません。
非常に残念なことです。
しかし、10年前の2003年に金島ハヤブサイレブンの同級生の柴崎と金井で、金島ハヤブサイレブンの名を継ぐ、社会人サッカーチーム、「渋川FCハヤブサイレブン」を立ち上げ、群馬県社会人サッカーリーグ4部に登録しスタートしました。
当時の登録選手は、全員が18歳で、金島中出身は、3名、その他は昭和村、沼田市、月夜野町の選手を集めました。
現在、社会人チーム(渋川FCハヤブサイレブン)は、群馬県社会人サッカーリーグ1部に参戦しています。
簡単に説明すると群馬県の社会人のアマチュアサッカー界のトップリーグです。
映画のはやぶさ(HAYABUSA)は、7年間、60億キロの距離を苦難を乗り越えて帰還し、日本中に勇気をくれた「はやぶさ」とそれを支え た人々を描く感動の物語は、記憶に新しいですが、金島ハヤブサイレブンのルーツを知る我々が、ハヤブサを絶やしてはいけないと言う使命感を感じ活動しています。
サッカーに関わった事のない方も、「ハヤブサイレブン」を言う言葉は耳にしたことがあると思います。
これを機会に応援をしてください。
最後になりましたが、自分の子供でサッカーをやっている方がいたら、連絡をください。
また、親戚や友人の子供でもOKです、ハヤブサが群馬のアマチュアトップのクラブになるまで、皆さんの応援をお願いします。
手紙は、ここまです。
14年前(2009年)には、nova渋川は、影も形もありませんでした。
nova渋川を立ち上げたのが、2016年だから、同窓会を行ってから7年後になります。
群馬県社会人リーグ1部を4年間キープしてきた渋川FCハヤブサイレブンも2013年には、郡馬県社会人サッカーリーグ2部に降格し翌年の2014年で12年間の活動に終止符を打ちました。
少年サッカー連盟で活躍した金島ハヤブサイレブンを継承した渋川FCハヤブサイレブンが、2014年で活動が終わった時、これで良いのか?ハヤブサイレブンを火を消してはならないという使命感と、今後もサッカーに関わって行きたいという希望から、私は齋藤コーチと2016年に2年間の準備期間を経てnova渋川を立ち上げました。
金島地区の皆様、金島小学校のグラウンドの東側に桜の木の下にある金島ハヤブサイレブンの碑の書かれている「夢よ羽ばたけ! ハヤブサイレブン」は、
私には、忘れられない言葉です。
このホームページを見た金島ハヤブサイレブンOBの方、渋川FCハヤブサイレブンのOBの方、nova渋川のOB,OGおよび保護者様、下記のお問合せから
応援メッセージ、激励の言葉等何でも良いので、皆様のご意見や要望を聴かせて頂ければ幸いです。
また、一般の方でハヤブサイレブンまたはnova渋川に興味をもたれた方も、下記のお問合せから、連絡を頂けたら幸いです。